31年目に突入したエレファントカシマシが23枚目となるアルバム《WAKE UP》をリリースして数日が経った。RAINBOWから3年。ああ、もうそんなに月日が流れていたのかと思うと感慨深いものがある。
フェスティバルシーズンだった2017年を終えても熱気は冷めるどころか熱を帯びる一方。ここまで30年もかかったんだ。でも、必要な時間だったんだと受け入れつつある私がいる(って何様じゃい)。
アルバム《WAKE UP》を、私は正座して聴いた。こんなことファンになってから初めてのこと。なんというか、ちょっと不安だったのかもしれない。私にとってエレファントカシマシのアルバムは、彼らからの定期的な「手紙」のような存在で、"お前、ちゃんと生きてるか?"と問われているような感覚。これまで幾度も受け取ってきた手紙は楽しみでしかなかったはずなのに、今回はなぜだか怖かった。
そんな不安をいきなり打ち消してくれたアルバムタイトルでもある《WAKE UP》。ああ、そうかい、そうきたかい。31年目にしてまたしても"覚醒"したバンドがここにいた。もうそこからはワクワクとドキドキが止まらない。Easy Goに至っては、宮本浩次の真骨頂が余すことなく詰め込まれていると感じたし(曲もサウンドもアレンジも、得意のカタカナ英語も全てにおいて)、《神様俺を》はレゲエ。いつかきっとやる、と勝手に思っていたから(しかもEMIあたりでそう感じていた)おお、ついに!と、ボリュームを少しあげた。そして、ガツンと頭を殴られたような衝撃をくらった。
宮本浩次は言う。
この曲に書いたのは《ファイティングマン》と同じことと思っているんですよ。
(『音楽と人』2018年7月号より)
その記事を読んで、そしてその記事の中でこの一節が一番心に響き、おいおい泣いた。
明るいレゲエの曲に、どこか悲観的な歌詞。"お前の力必要さ 俺を力づけろよ"と叫んでいた正義を気取ったヒーロが、時を経て、"うすいごましお頭に目をショボつかせた"おっさんになり、"神様俺を見て 俺を見捨てないで"と歌う。悲壮感なんて微塵も感じさせない、レゲエでのサウンドで。
私の小さなおつむでは、宮本浩次が言わんとしていることをまるっと理解するのは難しい。ただ、この曲は、《WAKE UP》というアルバムは、間違いなく怒涛の30thを駆け抜けたからこそ完成したアルバムだったんだろうと思う。新しいも古いも関係なく、エレファントカシマシを愛するファンの情熱を真っ正面から照れることなく受け止めて、昔の少年である自分たちを肯定した。進化することを決心した。なんて、おこがましいかもしれないけれど。
アルバムの最後は《オレを生きる》。もうこれはちょっとおかしいエレファントカシマシファンの私の幻想です。スルーしていただいていかまいません。
『音楽と人』では、宮本浩次の独白と表現されていたけれど、これって宮本浩次の世間と仲直り第二楽章のように思えてならないのです。
ちなみに第一楽章は、ポニキャニ移籍あたり。売ること、売れる曲とはなんぞやと世間と向き合うと決めた時(と、勝手に思っている)。
"オレは今日をゆく オレは今日を生きる オレはオレを生きる"
オレであることへの自信、今のオレを世間が受け入れてくれる、エレファントカシマシは愛されている。だからオレはオレを生きる。
そんな風に聴こえてならない。
『音楽と人』の最新号を読んでいるうちに、デジャブのような錯覚を覚えた。バックナンバーを座敷牢と言う名の書斎から引っ張り出したら見つけた。
僕はこれを読んでいるあなたたちと、本気で頑張って、この時代を生きていきたいんです!(『音楽と人』2007年2月号より)
アルバム《STARTING OVER》のリリースの頃で、ユニバーサル移籍後の第一弾。いつだって彼らは愛されたかったんだ。エレファントカシマシと言うバンドを、愛して欲しかったんだ。客電つけっぱだったあの頃も、帰れすっとこどっこいだの、気安く個人的に声をかけないでくださいとライブで悪態ついていたあの頃も。いつだって愛されてたかったんだ。
その思いが、30年という長い年月をかけて昇華した。
そして、彼らは進化し続ける。
こうして私の手元に届いた、3年越しのエレファントカシマシからの手紙。
人にはそれれぞれ生きてる場所と役割がある。だからオレもお前も、生きろ。
そんな風に叱ってもらったような、うれしいうれしい手紙だった。
追伸:クリスマスソングがなかったのが、ちょっと残念だったけど
(30thコンサート・オリンパスホール八王子のMCより)
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